ツリオヤジ的相対評価の悲しさ(?)

 うちの倅もこの春から中学入学。卒業式の日、これが最後になる「あゆみ」(神奈川県のいわゆる通信簿って奴です)を持って帰ってきました。小学生まではよくできました、ふつー、がんばりましょう、とその子供達の能力を絶対評価で先生があゆみにつけてくれるんですが、中学からは通知表という名で、相対評価が始まります。極端な話、クラス全員がテストで100点満点とっても、その中で1から5までの評価がなされるシステムで、高校受験、大学受験と続く教育システムの第一歩というところでしょうか。まあこの制度自体をうんぬんするのはここでは置いといて、ツリオヤジの中に見られる相対評価について思うことを書いてみます。

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 みなさんは釣りをして幸せを感じるときはどんなときでしょうか?潮風にあたって気持ちよかった、船長の良い人柄に触れることができた、見知らぬ人と和気あいあいに一日を過ごせた、いろんな釣りの楽しさがあるでしょう。が、その中でどうしても無視しにくいもの、それが釣果です。釣れた/釣れない、の結果はその日いちにちの満足度に、大きな影響を与えることは無視できないでしょう。

 最初におことわりしておくと、釣りはただ釣れればいいというものではありません。むしろ、釣れないというリスクがあるからこそ釣りは楽しいといえます。釣れない釣りにもたくさんの収穫がありますし、釣れないことがあるから、釣った時の喜びが増幅されるわけです。釣れない日に、悔しさをもって次回の釣りにまた工夫する、という繰り返しで釣りは上達すると私は考えています。

 しかしながら、釣れたら嬉しい、釣れなかったら悔しい、というのは釣り人の共通心理であると言えます。ここでは、その共通心理と相対評価の関連を考察してみましょう(というほどおおげさなことではないけど^^;)。以下の図をみてください。  

  幸せ
   ↑  自分が釣れて、まわりの人が釣れなかったとき
   ↑  自分もまわりも人も釣れたとき
   ↓  自分もまわりの人も釣れなかったとき
   ↓  まわりの人が釣れて、自分が釣れなかったとき
 不幸せ

 一部異論があるとは思いますが、釣果と心理状況の関係は上図のようになっている人が多くはないですか?人間、よほど達観しないと、どうしてもまわりの人に目がいってしまいます。

 マダイ釣りで、まわりは釣れていない、しかし、自分にはぽんぽん釣れる、こういうときってハナ高々。まるでこの世で一番釣りがうまいのは自分だろう、という錯覚に陥ってしまうこともあります。これは楽しい(まわりの人にすまない、という気持ちも働くけど、楽しい)。アジ釣りのように、自分も釣れる、みんなも釣れる、こういうときも楽しいです。これは幸せをシェアする楽しさなんてのもあって、いちばんハッピーな状態かもしれません。アラやモロコのような一発狙いで、船で誰にも釣れなかった。これは悔しいんだけど、まあ誰も釣れなかったんで仕方ないか、と自分が慰められます。けっしてハッピーな状態ではないけれど、アンハッピーでもないです。ところが、まわりの人はみんな釣れているのに、自分には釣れない。これぞ、どよ〜ん状態です。だんだんまわりの人も気を遣って声をかけてくれなくなったりしたりされるのも辛い。

 というように、同じたくさん釣れること、あるいは同じボウズでも、まわりの状況によって心理状態が変わってしまうことがあるわけです。これは子供の頃から身に染みこまされた相対評価教育の影響でしょうか?(笑)。釣果に対しての欲がある限りはおそらく相対評価の呪縛からは逃れることができないでしょう。

 相対評価が善か悪かは置いといて、対極に位置する自己絶対評価ツリオヤジはどうでしょう?釣果は自分が楽しめるだけで十分、まわりが釣れてる釣れていないには影響されずマイペース。自然を楽しみ、その恵みに感謝し、魚とたわむれる、まさに達観の域でしょう。わたしのまわりにも数少ないですが、こういうツリオヤジはいます。

 私はどうかといえば、まだまだ相対評価から逃げられません。タイ釣りなんかに行けば、まずはなんとか型をみたいと思い、型をみれば、次には数を伸ばそうと思い、数が伸びればこんどは竿頭を狙う、という、欲にまみれた釣りになってしまいます、ははは^^;。

 しかしながらすべての釣りに対してそうかといえば違って、最近では自分で絶対評価のできる釣り物が増えてきました。ある程度釣れば、もういいや状態になります。まわりがどんどん釣ろうとおかまいなし、残りの時間は昼寝でもすっかなー、とか、釣れてない人がいて魚をほしがっていればその人の分まで釣ったり、とか。こういう釣りは気が楽です。

 じゃ、相対評価な釣りと、絶対評価な釣りと、どちらが面白いか?という答えは、いまの私は明らかに相対評価の釣りです。緊張感もあるし、集中力も持続するわけです。まだ、釣りをゲーム(バトル)として捉えている一面があるせいかもしれません。これから歳をとるにつれ、徐々に絶対評価的な釣りが増えていくのかどうかは自分のことながら興味深いところではあります。

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 なんて暢気なことをオヤジが考えているとはつゆ知らず、中学生になろうとする倅は受験競争、偏差値主義、学歴社会とは無縁そうに、やはり暢気にGCやってます^^;。親の目からみると、絶対評価的ツリオヤジになりそう^^;。親としては、子供はある程度競争心があった方が安心するんですけどね。まあ、こればかりは性格なもんで、なるようにしかならんでしょう。スパルタで釣りを叩き込めば少しは競争心が芽生えてくるかしら....??

2002.03.24 Yauhiro Ii

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