乗合船アオリ釣りの変遷

  餌木を使ったアオリ釣りの発祥は九州で、今でも大分型、山川型など餌木の名前に地名が使われています。漁火の薪を海に落としたらアオリが抱き付いてきたのが餌木の始まりとか。また、兵庫や鳥取の日本海側、浜坂や香住などでは山陰型と呼ばれる魚型の餌木が釣り具屋で見られます。

関東船アオリのルーツは半田丸から

半田丸製の餌木各種 - すべて手作り

 船からの餌木釣りを最初に始めたのは東高円寺で半田丸釣具店を営んでいる伴輝久氏です。網代で漁師をしていた伴氏は、漁師引退後に竿、餌木、バケなどの釣具の製作を行い、自ら釣具店を経営しています。手バネの真鯛釣りの第一人者であるとともに、船からのアオリ釣りを最初に世の中に広めたのは伴氏であると言えます。

 私がアオリ釣りに興味を持った1990年頃、当時は仕立てによる釣りがほとんどで、アオリを釣らせる船も少なかったです。洲崎の六平丸(仕立)、熱海の丸正丸(予約乗合、現在は瀬戸丸)では半田丸の餌木、手バネ竿によるアオリ釣りが行われていましたが、当時はアオリを釣る人も少なく、一部のマニアの釣りと思われていました。半田丸の餌木は、現在ではインターネット販売も行われ、つりなびのショッピングサイトから購入できます。また、手バネによるアオリ釣りは、文芸春秋社からビデオ発売もされています。

1995年 アオリ乗合元年 光三丸が口火

光三丸での2.5kg(1995年)。この日は4kgも登場

 それまでは千葉(南房、内房)や静岡の一部の船でしか行われなかったアオリ釣りですが、ついに乗合が出るようになりました。1995年春のことです。最初にアオリ乗合を出したのは、長井漆山の光三丸。光三丸の関根恕(めぐむ)船長は、看板のヤリイカ、スルメイカの他、相模湾ではいちはやくヒラメ乗合を始めた船長です。それまでは少ない人数で仕立中心に行われていたアオリ釣りですが、光三丸の乗合開始により、他のイカ釣りのように予約もいらない、その日の朝来れば乗れるという気軽な釣りにしました。また、手バネ以外に、リール竿を使ったアオリ釣りが広まったのもこの時からです。

 1995年は私自身、興奮する年でした。光三丸ではいきなり4キロの特大サイズが登場。私はちょうどその船に乗っていました。竿を伸していく大アオリの強烈な引き、まるで青物ではないかとの錯覚を起こすよう な興奮でした。この日は東京中日スポーツの両海記者も取材で乗り合わせていて、後日センセーショナルな記事になりました。

東京湾では野毛屋が最初にスタート

 同年の冬。東京湾神奈川県側でもアオリ乗合が登場しました。始めたのは金沢八景の野毛屋の黒川勇治船長。新たな釣りに対する開拓に関しては、関根船長に負けずとも劣らないスピリッツの持ち主です。いまや各地で普通に行われるようになった、ウィリーの擬似針をアミコマセを使ったコマセシャクリ釣法を最初にやったのも黒川船長(勇治船長と兄の忠雄船長)です。

 光三丸が春の産卵時期に藻場に乗っこんでくるアオリ狙いに対し、野毛屋は冬場に落ちに入るアオリ狙いと言うように傾向が分かれたのも特徴でした。光三丸と野毛屋、この2軒が現在のアオリ乗合のルーツとなったと言えます。

翌年は不調、しかしアオリ乗合は静かに続く

 華やかなスタートを切ったアオリ乗合ですが、翌年は不調。船中0杯ということが何度かありました。今考えると、アオリの湧きが悪かった年だったのかもしれません。手バネ釣りとリール釣りが混じっていたのもこの頃です。きつい根を攻めたり、潮の速い場所で中オモリの変わりに20号オモリとテンビンを使ったりと、試行錯誤を繰り返していましたが、なかなか釣果には結びつきませんでした。1995年に アオリを新規に始めた船宿も、翌年にはやめるところもでてきてしまいます。野毛屋はじめ一部の宿と、一部のマニアによってアオリ乗合は静かに続きました。

  余談になりますが、今ではメジャーになった餌木スミイカ。これが登場したのは1998年のことでした。最初に始めたのはやはり野毛屋(黒川俊之船長)。シーズン初期(私が初めて見たのは1998/10/11)に中ノ瀬の浅場を狙う時期に、テンヤ釣りの釣り人に交じり、ライトアクションのバスロッドで餌木釣りを始めたのが最初です。餌木スミイカはしばらくの間はあまり流行りませんでしたが、2002年頃から徐々に看板を出す船宿が増え始め、2004シーズンは半日船も含めて数多くの船宿が餌木スミイカをやっています。

1999年 ついにブレイク

1990年代の餌木、陸用のものが多い

 1999年、東京湾、相模湾ともにアオリが好調に釣れました。新規にアオリ乗合を始める船宿も続々と登場。さらにKT関東の「別作アオリ120」を口火に、アオリ専用竿が発売され始めたのもこの頃です。餌木にも新製品が続々登場。これまで船用の餌木といえば半田丸だけでしたが、沈下速度やオモリの形状を変えたり、色も単色にしたりと様々な製品が登場してきました。

 アオリ釣りは、一部のマニアックな釣り人から、初心者でも簡単に始められるようになりました。そして、この頃は手バネの釣り人は減少し、ほとんどの人がリール竿にPEラインを使うというスタイルになりました。

好調年、不調年を経てメジャーターゲットの地位に

 21世紀に入り、アオリ釣りの人気は衰えず現在に至っています。毎年のように新型餌木が発売され、新色も続々登場。釣具メーカーはアオリタックルを続々と世に送り出します。アオリ釣りは沖釣りのメジャー部門としての地位を築きました。

2004年冬 東京湾からの新釣法 長竿によるNeoアオリ釣りが登場

 そして、2004年冬になり金沢八景野毛屋の黒川勇治船長が提唱する、アオリの長竿釣法が登場しあした。次以降のセクションで、詳しく紹介していきます。

 

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  実は私自身は2000年以降、アオリ釣りの回数はそれ以前より減少しています。急速に盛り上がったアオリ釣りに対していささか 敬遠気味だったのは、リール竿主体になった釣りに違和感を感じていたというのが理由です。この時点でのリール釣りについての違和感は次セクションで述べることにします。

 

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